2018年10月25日木曜日

➰スピリチュアルカウンセリング東京六本木 人生は急流もあれば穏やかな時もある、恋愛や結婚生活、迷った時に六本木OBERON

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バーナード・ショー

自分が心から偉大な目標だと思うものに身を捧げること。言い換えれば、自分自身が廃品同様にならないうちに心ゆくまで使い切ってしまうこと。これこそ「自然の力」であり、人生の真の喜びはここにある。
恋愛とは女が男を追いかけることだ。女のほうはじっとしているのだから、女は男を待っているかのように見えるが、それはクモが無邪気なハエを網のほうへひきつけるのと同じやり方なのだ。
二十代の頃より10倍金持ちになったという六十代の人間を見つけることは簡単だ。だが、そのうちのだれもが10倍幸せになったとは言わないはずだ。
あらゆる人間の闘争のうちで、男の芸術家と母としての女の闘争ほど、残忍かつ悲惨なものはない。
人類から愛国心を叩き出さないかぎり、決して平穏な世界に住むことはできないだろう。
もし人になにかを教えようとすれば、彼は何も学ばないだろう。
貧乏に対する恐怖に人生を支配させてしまえば、その報酬として食べていくことができるだろう。しかし生きることはできなくなる。
人は習慣を好む、なぜなら、それを作ったのは自分だから。
人間を賢くし人間を偉大にするものは、過去の経験ではなく、未来に対する期待である。なぜならば、期待をもつ人間は、何歳になっても勉強するからである。
時間が十分にあれば、すべてのことが遅かれ早かれ誰のもとにも起こりうる。
食べ物に対する愛より誠実な愛はない。
肩書きは、中才を際立たせ、大才の邪魔をし、小才によって汚される。
愚か者は、自分が恥ずべきことをするとき、それは自分の義務だと言い張るものだ。
成功の秘訣は、多数に逆らうこと。

2018年10月6日土曜日

愛せないのは自分のせい、自分を一番愛せばいいのに

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結婚相談恋愛



人は、自分を愛しているから嫉妬するんじゃなくて、愛していないから嫉妬するんだ。面白いもんだね。
池田晶子

誰にとっても正しいことなのだから、お互いの正しさを主張しあって喧嘩になるはずもないということも、わかるよね。だから、本当のことを知っているということは、それ自体が自由なことなんだ。本当のことを知らないから、人は人に対して自分の自由を主張することになるんだ。
池田晶子

自由というのは、他人や社会に求めるものではなくて、自分で気がつくものなんだ。自分は自分のしたいことをしていい、よいことをしても悪いことをしても何をしてもいい、何をしてもいいのだから何をするかの判断は完全に自分の自由だと、こう気がつくことなんだ。
池田晶子


自分に都合が悪いことはすべて、「社会が悪い」「社会のせいだ」というあの態度だ。でも、社会が自分の外にあると思っているのは、ほかでもないその人だ。自分でそう思い込んでいるだけなのに、じゃあその人はいったい何を責め、誰が悪いと言ってることになるのだろう。
池田晶子

考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。どうしてそうなると君は思う。謎が存在するからだ。謎が謎として存在するから、人は考える、考えつづけることになるんだ。
池田晶子

「自分」というのは、名前でなければ、身分でもない。体でなければ、心でもない。ないないづくしで、どこにもない。それが「自分」というものだけど、だからといって、自分など「ない」というのでもない。なぜって、自分など「ない」と言っているその自分が、まさにそこに「ある」からだ。ないけれどもある。あるけれどもない、それが「自分」というものの正体、その存在の仕方の不思議さなんだ。何を「自分」と思うかで、その人の自分は決まっているというのも、この意味だ。
池田晶子

2018年10月1日月曜日

スピリチュアルカウンセリングでこれからの貴方を 

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ジョン・スチュアート・ミル

数学と物理以外の領域で、およそ知識の名に値するものは、人が反対論者と論争をするときに働かせるのと同じような思考のプロセスを経ていなければならない。それは人から強制されたものでもよいし、自分で見つけたものでもよい。

簡単にわかるようなものでない問題については、一般に流布している意見がしばしば正しいけれども、それが真理の全体であることはめったに、というか、絶対にない。あくまでも真理の一部分にすぎない。

真理を見よと迫って、われわれの目を開かせようとする人は、逆に、われわれに見えている真理が見えていなかったりする。人間のことを冷静に判断する人なら、そんなことについても、憤慨すべきものとは思わないだろう。

深刻な論争が、あの問題でもこの問題でも、つぎつぎに終結していくのは、意見がひとつにまとまっていく流れの必然的な現象なのだ。

どんなに正しい意見でも、十分に、たびたび、そして大胆に議論されることがないならば、人はそれを生きた真理としてではなく、死んだドグマ[教条]として抱いているにすぎない。

意見の違いがありうる問題の場合、真理は、対立し衝突し合う二つの意見をあれこれ考え合わせることによってもたらされる。自然科学の分野でさえ、同一の事実について、つねにまた違った説明を加えることが可能なのである。

🥑🍅🍏  虚栄心の恋愛は悲惨だ、でも実際は破綻することが多い、バレるのよね本性が。恋愛結婚相談

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